我が國體 〜その一〜   

准后北畠親房の書いた神皇正統記の開巻第一に「大日本は神國なり、天祖始めて基を開き、日神永く統を傳へ給ふ。我が國のみことあり。異朝にはその類なし。この故に神國といふなり。」とある通り、天照大御神以来、萬世一系の天皇を上に戴いている我が大日本皇國が、寶祚と國運と天壤無窮であり、そこに國民の榮があることは、我が日本に生まれたものの誰も心に思い口にしているところであるけれども、さて、どうして我が日本が神の國として今日まで数千年の間傳わり、なお将来もこの数千年傳わって来た言うべからざる一つの力を以て進んで行くかといふことは、肇國以来の歴史を味わい、そうしてここに皇國と國民との関係を知り、それに依って我が國體が、いかに自然に發達して来たかを知らなければ、了解することは出来ないのである。

尤も従来傳わっている日本の太古から上代の歴史が、そのまますべて正確であるとはもとより考えることは出来ない。しかし、その中に含まれている神話、或いは傳説の起源、及びその發達して来た途をたどって見て、その神話・傳説が、萬世一系なる歴史的事實を基礎として起こっているものと考へ得られぬであろうか。またそれらの神話・傳説の中に、この萬世一系といふ信條が、生き生きとしてあるのは何故であろうか、この意味に於いて、我々は従来の傳説に囚はれた行き方でなく、寧ろ今日の文化的研究の上に、萬世一系の事實であるか否かを研究して見なければならぬと思ふ。これに就いての研究は、まづ人類社会の成立に対して、その環境並に自然界がどういふ関係であったかといふことを、地理的にも、生活状態の上からも考へねばならぬ。その関係が我が日本にはいかに現れて来たかを観察して見ねばならぬ。まづ、我が日本の如き島國で、しかも平野の少ない山國であるのと、支那或いは印度の如き太平原國であるのとでは、その社会的集団の進みが異なっている。

我が國の如き島國や山國では、まづ限られた地方で社会的集団が起こるから、他の民族との接触がよほど遅れる。従ってその社会には生存競争といふことよりも、寧ろ相互に依存する平和な気分が、より多くその社会に現れたであろうと思はれる。まだ原始的の社会であって、ただ自分等の目に触れる範囲が世界の全體であると考えて居った時代に於いては、もし我々の祖先の起こった所が四方山で囲まれ、或いは山もしくは海で囲まれた高天原、又は日高見國といふものであったとすれば、その狭い小さな世界で一つの社会的集団を作って行くには、よほど平和的であって、かの強者が弱者をくるしめるような意味はなかったであろうと思ふ。

その社会を平和的に作り上げることに進んで行かなければ、その社会は滅亡するのである。このことは社会の一つの細胞ともいふべき家庭の組織に就いても考へ得ることである。従って家庭の組織せられる本となっている夫婦の成婚にも、日本の上代の社会に於いては、近親結婚で社会を作り出していたことは、神話・伝説の中によく現れている。さういふ風で出来た家庭は夫婦・親子の関係は極めて親密であって、従って平和な愛を以て結ばれた社会が、ここに成立って来たことを信じ得るいろいろな條件が、日本の發達の上に備わっている。

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